2009年06月21日

感情の迷路

金曜日の朝、告別式が終わった。

前日の通夜は、
まるでベルトコンベヤーに乗せられたような焼香だった。

二人でゆっくり話ができない。

「明日また来る」
と控え室に並べられた料理を横目に一人帰った。

大往生ならともかく、
お互いの無念のなかで大勢の通夜客とともに時を過ごすことなどできるはずがない。


告別式では親族以外で一番最初に焼香した。
それが精一杯。


棺に横たわる彼女。


真っ先に花を手に取り、飾り付ける。

脱力のなか、しばらくその場にいる。

体にかなりの衝撃があったはずだが顔には損傷はなかった。

ナチュラルメークしか見たこと無かったので口紅の赤が印象的・・・。

そういえば目を瞑ったところを見たこと無かった。


彼女の妹に視線を向ける。


遠めに見れば、
本人がそこにいるかと見間違うほど、
体形・顔立ち・しぐさがそっくりだ。


両目を腫らしながらも気丈に振る舞いっていた彼女もとうとう泣き崩れる。




棺の窓が閉められ霊柩車へと運ばれる。


霊柩車が旅たちの汽笛を鳴らしゆっくりと動き出した。


これで二度と会うことができなくなってしまった。



そういえば彼女が娘を連れて会社に来たのは3月初旬だった・・・。


その日も今日のように土砂降りだった。

既に商談のアポイントが入っていて会うことができなかった。

近くにきたら食事でもという約束も果たせなくなった。


 

そのとき何があったのかはわからない。

既に心に決めていてお別れの意味で実家に帰ったのか・・・。

それとも東京に帰ってきて、
その寂しさ・つらさが大きく見えてしまったのか・・・。


東京に帰ってきたころ連絡していれば・・・。


また、感情の振り出し。


今更、何をどう考え、どう行動しようとも灰になった彼女が蘇るはずはない。

そんなことはわかっている。

彼女が自らの娘を・・・、
そして自らの命を絶ったその日の昼ぐらいから
体調が優れず、翌日は会社を休んだ。


そのときは彼女が既にこの世にいないことは知らない。

偶然か・・・。


 

無意識に何かを感じていたかもしれない。

数週間前、テレビで似たような報道があった。

子どもの名前が違い、ほっとした。

なぜ、ほっとした?

何かを予感していたんじゃないのか?

だったら、なぜ連絡を取らなかった?



 

後悔の迷路・・・。



・・・こういう場合は、
とにかく感情処理をするしかない。


感情を吐き出し、見つめる・・・。

そして時が流れるのをじっと待つ・・・。
想い出として振返ることができる日まで。



このままじゃ終んないね。

よし、今回のことをブログに書くのは今日でオシマイ。


しばらく迷路から抜け出せないかもしれないけれど、
それはそれで受け止め、現実に向き合う(努力をする)。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

posted by 一丁目のせいちゃん at 17:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
6/18の書き込みを見て、何とか君に言葉を掛けようと考えていた。

なかなかいい言葉が見つからないけど、俺にとっては、亡くなってしまった見知らぬ女性より、俺の知っている君のことが心配です。

そして、この気持ちは、君を知っている他の大勢の人達も同じだと思います。

彼女は素晴らしい女性だったのでしょう
故に神に愛され、より早く天に召されたのでしょう。

どうか自分自身をあまり責めないでほしい。

君の時間は、君の家族と共に、これからも流れて行くのだから。










Posted by NO13 at 2009年06月21日 23:55
せいちゃん、あなたの考え方は正しいと思いますよ。
だからといって、感情をコントロールすることは難しいことだと思います。
苦しかったら、ここに想いのたけを書いてもいいんですよ。
時間は、私たちの味方、つらいことも忘れさせてくれる。
じっと、待ちましょう、今は・・・

Posted by チエちゃん at 2009年06月24日 20:57
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